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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~たつの市編 その6

古の播磨を訪ねて~たつの市編 その6

 佐々村 阿豆(あつ)村 飯盛山 大鳥山

 

 播磨国風土記には「佐々村 応神天皇が、国内を巡行なさったとき、笹の葉をかんでいる猿に出会われました。そこで、佐々村といいます。

 阿豆村 伊和の大神が国内を巡行なさったとき、その胸の中が熱くなって苦しまれて、着物の紐を引きちぎってしまわれました。そこで阿豆と名づけました。

 また、ある人がいうには、昔、天に二つの星がありました。地上に落ちて石となりました。そのとき、沢山の人が集まって議論をしました。そこで、阿豆と名づけました。

 飯盛山 讃岐の国の宇達(うたり)の郡の飯の神の妻、名を飯盛の大刀自(おほとじ)といいます。この神が渡ってきて、この山を占拠して住んでいました。そこで飯盛山と名づけました。

 大鳥山 大雁がこの山に棲んでいます。そこで大鳥山といわれます。」とあります。

 

 この記述は揖保の郡の香山(かぐやま)の里の条の後半部分で、前半はこのシリーズ第87回で触れています。

 

 まず、佐々村は現在の新宮町上笹、下笹が、飯盛山は新宮町宮内のたつの市立新宮中学校西側の天神山が比定地とされています。

 

 次に、天から落ちてきた星が石になったと伝えられている阿豆村は、新宮町宮内の新田山(しんでんやま)が推定地とされています。山頂へのゆるやかな登山道は、山の北側を流れる栗栖川に沿うような形で続いています。山頂に着くと巨岩が目に飛び込んできました。これが、「重ね岩」と呼ばれている岩で、傍らには「『播磨国風土記』に天の星が落ちて、この岩になったとある。」と記した標柱が立てられています。また、少し離れたところには「烏岩」と呼ばれている大きな割れ目のある岩があり、これらが、播磨国風土記に登場する岩と考えられています。

 

 最後の大鳥山は新宮町内の大鳥山が比定地とされています。ただ、本文のように大雁が棲んでいるのでこの名前がついたという点については、諸説あります。雁は渡り鳥であるし、山に棲む鳥ではありません。研究者の中には、コウノトリではないかと考える人もいますし、現在氷ノ山に棲んでいるイヌワシではないかと唱える人もいるようです。ふと考えてみると、大鳥山は、氷ノ山を南へ下った位置にあり、近くには揖保川も流れていて、餌となる魚も沢山いることから、古代、大鳥山にはイヌワシが棲んでいて、この播磨の空を大きな翼を広げて悠々と舞っていたのではないかとその姿を想像し、何か浮き浮きとした気持ちになりました。    (揖保の郡 香山の里)