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古の播磨を訪ねて~稲美町編 その5

古の播磨を訪ねて~稲美町編 その5
 稲美町指定文化財
 
 今回は、稲美町の町指定文化財を訪ねました。先ず、六分一の地蔵菩薩立像と鳥居です。ご近所で工場を営まれておられる方にお話を伺いますと、この地は元来天満神社の社領で、その名残として、鳥居の下を通ってお地蔵さんにお参りに行くという神仏習合が今に残っている珍しいところですと教えいただきました。そして、新しい御旅所は、道を挟んで、真南にできており、天満神社の御神輿の坐すコンクリート製の台座も造られていました。
 
 さて、この地蔵菩薩立像ですが、南北朝時代の延文元年(1356)の文字が刻まれています。高さは地上部約1.5m、一部地中に埋まっているため、全体の高さは不明です。天満神社の御旅所近くにあるため、「御旅地蔵」と呼ばれ、町内では最も古い石造物で、平成元年7月に町の文化財に指定されました。一方、鳥居は「御旅地蔵」のお堂の近くにあって、約800m北にある天満神社の神殿に正対して建立されています。所謂、天満神社の御旅所の鳥居として建てられたものですが、製作年代ははっきりせず、その造りから室町時代から江戸時代にかけての時期と考えられています。こちらは、平成37月に町の文化財に指定されました。
 
 そのほか、国安328には、五輪塔と宝篋印塔、そして地蔵菩薩立像があります。五輪塔には「応安戊申年(1368)三月十八日」と製作年月日が刻まれており、町内では記名のある石造物の中で、二番目に古いものです。また、宝篋印塔には「明徳元庚午(1390)潤三月□日」と刻まれています。残念なことに、隅飾りの上部の九輪等の相輪部分は欠けていますが、隅飾りより下部の部分は全体的に保存状態もよく、上記五輪塔と少し年代のずれはありますが、同じ南北朝時代の石造物です。最後に、地蔵菩薩立像です。製作年代を特定するものは刻されていませんが、南北朝時代の錫杖地蔵と考えられ、後背の円形も保存状態はよく、高さは1.2mあります。これら三点はいずれも平成元年7月に町の文化財に指定されました。
 
 この地蔵菩薩は、長い間、稲美町国安の子守り地蔵として町民から慕われており、お顔を拝見しますと、子供をいじめる者は絶対に許さないぞ、というような表情をしておられます。筆者もこれからもズーット子供たちをお守りくださいと、手を合わせてお参りしました。