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古の播磨を訪ねて~播磨町編 その5

古の播磨を訪ねて~播磨町編 その5
 厳光山圓満寺(がんこうさんえんまんじ)
 
 今回は、播磨町の上野添(かみのぞえ)の厳光山圓満寺を訪ねました。かつて、何回も足を運んだ県立考古博物館の近くです。明姫幹線を東へ走り、播磨町に入って「古田」の信号を左折し、すぐ右折して県道553号線に入り約1㎞、「野添山ノ代」の信号を左折して少し進むと、右手に五重塔が見えてきます。
 
 訪問した当日は、ご住職は不在でしたが、幸い、奥さまがおられ、いろいろとお話を伺うことができました。
 
 圓満寺は、天長3年(826)に弘法大師の手により開設され、御本尊青面金剛(庚申さん)を奉祀するお寺として今日に至っています。寺伝によると、江戸時代の中頃に、現在の地に燦然と光を放ち輝いていた巨岩があり、まさしく霊験あらたかな聖地だということから、山号を「厳光山」と号し、聖観音を新たに勧請して、多くの人々の信仰を集めたそうです。特に、姫路城主本多家三代からは手厚い庇護を受け、領地を拝領したのが現在の境内地として伝わっています。そして、現在は約800もの檀家を持つ大寺院となっています。
 
 立派な山門をくぐり、境内に入ると、右手に平成5年に建立され、納骨堂として使用されている高さ42mの五重塔が目に飛び込んできます。五層の各四隅には風鐸を備え、すっくと建っています。そして、左手には昭和60年に落慶された鉄筋コンクリート造りの本堂が、辺りを圧倒する感じでどっしりと構えており、境内に目を光らせているようでした。
 
 その境内には、般若心経を納めた「写経塚」や、一つの願いを観音さんに託して日々精進しようとの願いの「夢現一願観音」、人々の厄除けの「厄除十二神将霊場」などが祀られていました。そして、一番奥には、兵庫県認可の公園墓地があり、宗派の如何を問わず利用されている墓地は、土山霊園と呼ばれています。
 
 JRの新快速に乗って、土山駅近辺を通り過ぎるたびに、南に見える立派な五重塔がそびえている寺院は、どのようなお寺なのだろう?と、興味を惹かれていました。そのお寺が、今回訪問した大寺院の圓満寺そのものと分かり、長年抱いていた疑問も解け、頭の中のもやもやが吹っ飛んだようなスッキリした気持ちになりました。そして、改めて五重塔を見上げて、列車からの眺めと重ねました。