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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~姫路市編 その5

古の播磨を訪ねて~姫路市編 その5

 伊刀(いと)島

 播磨国風土記の中で、現在の家島諸島についての記述箇所は、まず「餝磨(しかま)の郡」「少川(おがわ)の里」の条に『いと大きな牝鹿が海を泳ぎ渡って島に着きました。そこで、伊刀島と名づけました』とあります。

 

 続いて、「揖保の郡」「伊刀島」の条には『色々な島の全体の名です。応神天皇が射目人(いめひと:射手)を餝磨の射目前(いめさき)に配置して狩りをなさいました。そのとき、我馬野(あがまの)から出てきた牝鹿が、この丘を横切って海に入り、伊刀島に泳ぎ渡りました。これを見ていた射手達が、語り合いました。鹿はいと早くあの島に到り着いた。そこで、伊刀島という名がつきました。』とあります。

 

 また、同じ「揖保の郡」「石海(いはみ)の里」の条には『家島:人々が家を作って住んでいます。そこで家島という名がつきました。竹、黒葛(つづら)などが生えています。神島:伊刀島の東にあります。神島というわけは、この島の西の海岸に石神がいます。形が仏像に似ています。そこで島の名としました。この神の顔に五色の玉があります。また、胸にまで流れる涙がみられます。これも五色です。泣いているのは、応神天皇の御世に、新羅からの客が渡来しました。客はそのとき、この神の不思議な姿を見て、非常に珍しい玉だと思い、その顔を割って目の玉一つをえぐり取りました。そのため神は泣いているのです。神は大変怒って、すぐ暴風を起こし客の船を難破させました。船は高島の南の浜に漂流して沈み、新羅の人は皆死にました。そこで名づけて韓浜(からはま)といいます。今、ここを通り過ぎる者は、心を慎み、固く戒めて韓人(からひと)という言葉は口に出さず、盲目のことにも触れないようにします。高島:ここにある他の島より高いので高島と名づけました。』とあります。

 

 このように、郡あるいは里を越えて、家島の記述がみられます。「伊刀島」の「イト」については、上記のように「餝磨の郡」と「揖保の郡」とでは、若干解釈は違いますが、今の「大変」という意味の古語と理解してよいでしょうし、そのあとの「家島」も記述内容からして、「伊刀島」と同じ島と考えられます。次に「神島」ですが、これは、今の「上島」が比定地とされ、「高島」は家島諸島で最も高い島ということから今の「西島」と推定されています。

 

 さて、ここ家島には延喜式名神大社に列せられている家島神社が鎮座しています。延喜式神名帳に記載されている播磨の国の式内社47社中、名神大社に列せられているのは、現在の神戸市垂水区の海神社、宍粟市の伊和神社、たつの市の粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)と中臣印達神社(なかとみいたてじんじゃ)、そして、家島神社の5社だけです。これにより、この家島神社の社格がいかに高かったかが理解できると思います。

 

 社伝によれば、家島という地名は、神武天皇が大和へ向かわれる途中、この地に寄港されたところ、港内が大変穏やかで、「あたかも家の中にいるようで静かだ」として、名づけられたということです。家島神社は、このとき、天神(あまつかみ)をお祀りし、海上安全と戦勝を祈願されたのが始まりとされています。

 

 このお社は、実に約2600年前に建てられたことになります。また、神功皇后は、新羅に向かうにあたって、天神に祈願されたところ、全山がにわかに鳴動したので、この辺り一帯を「ゆする山」と呼ばれていたこともあるようです。

 

 さて、ここ家島神社では、今年も72425日に海上安全と五穀豊穣を祈願する天神祭りが斎行されました。この祭りのために特別にあつらえた豪華絢爛な檀尻船で演じられる勇壮な獅子舞。毎年、宮地区と真浦地区の皆さんによって舞われます。25日の昼宮では、心配な天気の中、家島神社の天神浜で両地区の檀尻船での共演が行われました。中でも、「真浦の獅子舞」は絶えることなく、約200年も続けられており、兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

 ところで、古事記の「国生み神話」では、天神(あまつかみ)の命によりイザナギ、イザナミの二神が天の浮き橋から天沼矛(あめのぬぼこ)をさし降ろしてかきまわし、引き上げたその矛先から滴り落ちる潮が、おのずから固まってできた島がオノコロ島です。その後二度島造りに失敗し、次に淡路島・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州という所謂「大八島」ができあがりました。

家島に残る伝説では、最初にできた島である「オノコロ島」が家島であり、西島の頂上にある巨石・コウナイ石が古事記に記載されている「天の御柱」であるというのです。この「オノコロ島」伝説は、家島の他にも淡路島、沼島、絵島等いろいろな島に伝わっていますが、延喜式での家島神社の破格な待遇は、神武天皇や神功皇后に関係しての瀬戸内航路の安全・要衝というだけでなく、家島がオノコロ島であるということにも関係しているのかもしれません。

 

 播磨国風土記から思いは果てどもなく広がっていきましたが、姫路市の家島が日本で一番最初にできた島というのは、実にロマンのある話で、心なしかウキウキしてくる自分を感じました。         (餝磨の郡・揖保の郡)