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古の播磨を訪ねて~高砂市編 その5

古の播磨を訪ねて~高砂市編 その5

 十輪寺

 

 今回は、8月下旬に高砂市高砂町横町の宝瓶山十輪寺を訪ねました。加古川バイパス上りの高砂西ランプで降りて、そのまま明姫幹線を播州大橋の手前の古新西の信号から側道を直進。突き当たりを右折して加古川の右岸を下流方向へ。高砂市文化会館の西側を南へ進んで、北本町の信号を右折して東農人町の二つ目の信号から10m過ぎの少し細い十字路を左折して約200mで山門前に到着です。

 

 当日はご住職がおられ、寺内を案内していただき、お話を伺うことができました。十輪寺は、平安時代初期、弘法大師が天皇の勅命により創建したと伝えられています。鎌倉時代の初期には、讃岐へ追放された法然上人が寺に立ち寄り、再興したことから、浄土宗に転宗しました。現在の本堂は、中興24世・律空が元禄6年(1693)に入山し、再建したと伝わっているようです。

 

 この十輪寺は、文化財の宝庫と言ってもよく、先ず、16世紀の李氏朝鮮時代に描かれたと考えられている朝鮮仏画の名品・絹本着色五仏尊像は、国の重要文化財に指定されています。次に、本堂は、桁行9間・梁間8間・向拝3間の二重寄棟造の本瓦葺で、三方に広縁をめぐらした圧倒されるほどの重層な建造物です。内外陣の欄間の彫刻・内陣廻りの絵様彩色などは、優美で、装飾・意匠は文化の爛熟17世紀初頭の風格を持っており、県の重要文化財に指定されています。

 

 また、見るからに立派な山門は享保15年(1730)の建立。東面は変形の棟門、両妻に金剛力士像を安置した切妻の脇棟が配されています。屋根は、本棟、脇棟共に本瓦葺。脇棟は、妻側にだけ柱を建て、その柱は下部が外側にせり出す特有の形で、この形が、山門の形を際立たせて、市指定の重要文化財になっています。また、庫裡・大玄関・小玄関・方丈も、その意匠をこらした優美さから市の重要文化財に指定されています。

 

 当日は、残暑厳しき夕方でしたが、境内には人影もなく、ツクツクボウシが、からだ全体をゆすって盛んに鳴いており、木陰に入ると、心なしかひんやりとした風が吹いているように感じました。古今和歌集の藤原敏行の「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という和歌が頭をよぎり、木陰で、もうそこまできている秋の気配を感じました。