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古の播磨を訪ねて~明石市編 その5

古の播磨を訪ねて~明石市編 その5

 住吉神社

 

今回は、6月下旬の梅雨の合間に、明石市魚住町中尾にある「住吉神社」を訪ねました。姫路バイパス上り高砂西ランプで降りて、明姫幹線に入り、加古川も越えて、ひたすら東へ。国立明石高専の南を通って、魚住町住吉1丁目の信号を右折し、山陽電車の踏切を越えて約300m、目的の住吉神社に到着。

 

伝承によれば、神功皇后が韓半島へ渡る際、播磨灘で暴風雨が起こったため魚住に避難され、住吉大神に祈願をすると、暴風雨が収まったといいます。そして、帰国後、神功皇后によって住吉大神は摂津国住吉に祀られました。

 

また、大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、「住吉大神より『播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く処に祀れ』との宣託があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。そこで、雄略天皇8年(464)に魚住に住吉大神を勧請したのが当社の創建とされ、その後、正応5年(1292)に現在地に遷座した」とのことです。明石市内には幾つかの住吉神社が鎮座していますが、魚住の住吉神社がその代表格とされる所以がここにある訳です。

 

当日は、禰宜の西海さんに案内いただきました。この住吉神社は風光明媚な名勝「錦が浦」に面しており、境内の能舞台は初代明石城主小笠原忠政が寛永年間(16241645)に建立したことが棟札から判明していて、明石市の有形民俗文化財に指定されています。また、鳥居・山門・楼門(明石市指定文化財)・能舞台・拝殿・本殿が一直線に並んでおり、当社のみが、東播地方に伝わる神社様式を今に伝えているということでした。その他、この住吉神社には、兵庫県指定の文化財の石造燈籠と神馬図絵馬、明石市指定の文化財の絵馬「加茂競馬の図」と大和型船模型など指定文化財が沢山あります。

 

そして、ここ住吉神社で注目すべきは、上記『住吉大社神代記』にも出てくる「藤」です。境内のいたるところに藤の木があり、とりわけ、本殿裏の神木は、「海からの穏やかな風に揺れる藤の花房。その下を通り抜けると、祓い清められたような清々しい気持ちになる」ことから「祓除(はらい)の藤」と呼ばれています。訪ねた時には、花の時期はとっくに過ぎていましたが、来年のゴールデンウィークには、是非ここ住吉神社を再訪し、藤の花で身も心も清めたいと思いつつ、帰路に着きました。