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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~たつの市編 その5

古の播磨を訪ねて~たつの市編 その5
香山(かぐやま)の里

播磨国風土記には、「元の名は鹿来墓(かぐはか)です。土地は下の上です。
鹿来墓と名づけるわけは、伊和の大神が国占めをなさったとき、鹿が出てきて山の峰に立ちました。山の峰もまた墓に似ていました。そこで鹿来墓と名づけました。後に、天智天皇の御世に、道守臣(みもりのおみ)が播磨国司になったとき
に、名を改めて香山としました。
家内谷(やぬちだに)  これは香山の谷です。形が垣根をめぐらしているようになっています。そこで家内谷という名がつきました。」とあります。

揖保川の土手の土筆も芽を吹きだした3月初めに、たつの市新宮町を訪ねました。風土記によれば天智天皇の御世に、「カグハカ」から「カグヤマ」に地名が変わったというのです。このことについて、少し難しくなりますが、万葉集には「香具山・畝傍山・耳成山の大和三山」の争いの説話を詠った天智天皇の有名な歌があります。また、「播磨国風土記 揖保の郡 上岡の里」の条には、出雲の国の「阿菩(あぼ)の大神」が、その大和三山の争いを止めようとお思いになって、「上岡の里」(現在のたつの市神岡町)まで来られた時に、争いは収まったと記載されています。この「大和三山に関する天智天皇の歌と揖保の郡の言い伝え」をもとにして、天智天皇の御世に、大和三山の一つの「香具山」にちなんで、揖保の郡の「カグハカ」を「カグヤマ」と名前を変えたのではないかと言われており、現在のたつの市新宮町の「香山(こうやま)」が比定地とされています。

次に「家内谷(やぬちだに)」ですが、これは一般的には新宮町香山にある小字の「家氏(いよじ)」が比定地とされています。この「家氏(いよじ)」地区には「家氏(いえうじ)」という姓の家が現在3軒あります。「家内(やぬち)」→「いえうち」→「いえうじ」→「いよじ」と変化していったと考えられ、ここ新宮町でも播磨国風土記は健在でした。

さて、その家氏(いよじ)には、「皇祖神社」が鎮座しています。このお社の阿形の狛犬は、瓦製で、全国的にも非常に稀なものです。高さ37㎝で台座に彫られている銘文から、明徳元年(1390)に橘友重(たちばなともしげ)が制作したものと判明しています。橘氏は大和で活躍した瓦職人で、橘氏の作品としては播磨最古のものと言われ、兵庫県の重要文化財に指定されています。その他、狛犬のレプリカ等が境内のガラスケースに保管されています。    (揖保の郡)