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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~佐用町編 その4

古の播磨を訪ねて~佐用町編 その4
佐用町上月「飛龍の滝」

邑宝(おほ)の里

 

播磨国風土記には「土地は中の上です。弥麻津比古命(みまつひこのみこと)が井戸を掘って、カレイヒを召し上がって、おっしゃいました。『私は、多(おほ)くの土地を占めてきた。』そこで、大(おほ)の村といいます。井戸を掘らせたところを御井(みゐ)の村という名がつきました。

鍬柄(くわえ)川神日子命(かむひこのみこと)の鍬の柄を、この山で取らせになりました。そこで、その山の川を鍬柄川といいます。」とあります。

 

9月上旬の残暑厳しい日に、佐用町を訪ねました。国道2号線の「有年原」の信号を右折して国道373号線に入り、このシリーズ第62回で取り上げた上郡町苔縄の「法雲寺」を左手に望みながら、千種川沿いをひたすら北へ走りました。久崎三差路の信号を右折し、智頭急行線の久崎駅の案内板でおおよその見当をつけ「円光寺・秋里川・上秋里・仁位(にい)・飛龍の滝」へ向かいました。

 

「邑宝の里」の中心は、一般的には現在の「旧上月町円光寺」付近と考えられています。ミマツヒコノミコトとは、第5代孝昭天皇と考えられていて、この条は、その孝昭天皇が、水路等を開き、水田を潤す大事業が終わって、多くの土地を得たと満足した部分と考えられ、風土記の中では「大の村」と言っています。

最初に井戸を掘って水路を設けた所を「御井村」と言い、ここは、現在の「円光寺トンネル」を北へぬけてすぐ右の、佐用川左岸の「旧上月町仁位」に比定されていて、実際この「仁位」は広い盆地で、今も水田耕作が盛んです。

 

次に本文中の「鍬柄川」は、現在の「秋里川」と比定されています。この川は上秋里に水源を持ち、円光寺の西部で佐用川に流れ込み、さらに久崎で千種川と合流して大河となり、上郡町・赤穂市を通って瀬戸内海に流れ込んでいきます。

 

今回は、はるばる佐用町上月までやってきましたので、「軍師官兵衛」のオープニングのロケ地の1つ「飛龍の滝」を訪問してきました。「飛龍の滝」へは、案内板が順次掲げてあって、途中からは1本道で迷うことなく車を進めることが出来ました。

車を降り、私の足で3分ほどで滝壺まで辿り着くと、目の前に確かに「軍師官兵衛」のオープニングの滝がありました。他に観光客もいなく、世の喧騒から逃れ、涼しい滝壺の傍で、時の過ぎ往くのも忘れて一人佇んでしまいました。

 

佐用町観光協会サイト 「飛龍の滝」紹介ページ

http://sayo-kanko.com/miru/hiryuunotaki 

 

(讃容の郡)