播磨広域連携協議会

播磨広域連携協議会 > コラム・連載 > はりま風土記紀行 > 古の播磨を訪ねて~上郡町編 その2

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~上郡町編 その2

古の播磨を訪ねて~上郡町編 その2

高田駅家(たかたのうまや)

今回は春分の日に、上郡町神明寺(じんみょうじ)の高田駅家跡を訪ねました。上郡町も前回の赤穂市同様に播磨国風土記には記載がありませんので、風土記を少し離れた紀行文になります。

古代山陽道は、7世紀末から8世紀初めの律令国家制度確立期に駅家制が整えられ、9世紀頃には衰退傾向で、10世紀あたりまでは機能していたと考えられています。30里(現在の約16㎞)間隔で駅家が置かれ、大路の駅家には通常駅馬が20疋常備され、外国からの賓客等に備えて瓦葺の立派な宿泊施設が整備されていたようです。

高田駅家は「延喜式」巻二十八兵部省諸国駅伝馬の条に、山陽道の播磨国九駅の一つとして、東の布勢(ふせ)駅家と西の野磨(やま)駅家の間に記載されています。現在、この高田駅家跡は、上郡町神明寺79の「福峯山願栄寺」付近ではないかと考えられています。土地の古老に聞きますと、「この辺りは古代瓦が出土しており、小字として『前田(まえだ)』という地名も残っている。この『前田』は、『駅田(まきだ)』がなまったもの。」ということでした。

 

当日は、一瞬通り雨やアラレが降ったりと変な天気でしたが、田の畔には土筆が芽を出しはじめ、晴れ間にはあちらこちらでヒバリが空高くさえずり、久しぶりに牧歌的な雰囲気に浸ることができ、心癒された上郡探訪でした。

願栄寺の地図はこちら↓http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps...