播磨広域連携協議会

播磨広域連携協議会 > コラム・連載 > はりま風土記紀行 > 古の播磨を訪ねて~加東市編 その2

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~加東市編 その2

古の播磨を訪ねて~加東市編 その2
朝光寺

穂積の里

播磨国風土記には、「元の名は塩野です。塩野という名がついたのは、塩分のある泉が、この村にでます。そこで塩野といいました。今、穂積という名がついているのは、穂積臣(ほづみのおみ)らの一族が、この村に住んでいます。そこで、穂積となづけました。」とあります。

1月13日(月)の成人の日に加東市を訪ねました。現在、中国自動車道の滝野インターから西側の地域で、北と西を加古川で、南を千鳥川で囲まれた一帯が加東市穂積です。当日は古代名の残っている穂積地区集落センターを目指しましたが、新年恒例の地区集会を開催していました。穂積一帯はやや開けかけた静かな農村という感じでした。続いていかにも鎮守の森という感じの氏神様「穂積八幡神社」にお参りをしましたが、「穂積」という風土記に記載されている古名は、この二つしか発見できませんでした。しかし、穂積氏がこの地を治めたということですが、「稲穂」を積み上げるということで、田園地帯を見ながら、古代においては、きっと稲穂がいっぱい垂れた豊かな地であったであろうと、思いを馳せました。

播磨国風土記に元々「塩野」と呼ばれていたとあるように、この「穂積」からはかなり東の方の、加東市下久米には「塩ツボ」と呼ばれている塩分を含んだ「鹿野冷泉」がありました。囲いの中を覗くと、ところどころ落ち葉のある澄んだ水の中を、時々泡が「ポコポコ」上がっていました。地元のお年寄りの話によりますと、病気の時にはこの冷泉を汲んで帰って、お風呂に使ったりしたそうです。

せっかく加東市まで来たので、社町畑609の国宝の「朝光寺」に参拝しました。「朝光寺」に近づくにしたがって、あちらこちらで、「時速30㎞厳守」と書いた看板を持った人を何人も見かけました。車はほとんど走っていませんでしたが、思わずメーターを見、30㎞まで落としました。寒風吹きすさむ中でのことでしたので、ボランティア?の皆さんに頭の下がる思いがしました。

境内には祝日にもかかわらず誰もいず、山門の仁王さんに睨まれたせいもあってか、ピリッとした空気が張りつめているような感じを受けました。国宝の本堂は本瓦葺きで、流石堂々たるもので、麓の「つくばねの滝」も落差6mですが、なかなか迫力があり、有意義な加東市巡りができました。
(賀毛の郡 穂積の里)

朝光寺の地図はこちら http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?lid=171