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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~三木市編 その2

古の播磨を訪ねて~三木市編 その2
志染中学校
美囊(みなぎ)の郡・志深(しじみ)の里

 播磨国風土記には「昔、履中天皇が国の境を定められたとき、志深の里の許曽(こそ:古代朝鮮語で尊敬の意味)の社にやってこられて、『この土地は水流(みながれ)が大変美しいなあ』とおっしゃいました。そこで、ミナギの郡という名がつきました。」とあり、続いて、「履中天皇が、ここの井戸のそばで食事をなさったとき、シジミ貝が弁当の箱のふちに遊び上がりました。そのとき、天皇が『この貝は、阿波の国の和那散(わなさ:徳島県海部郡海陽町)で私が食べた貝だなあ』とおっしゃいました。そこで、シジミの里と名づけました。」とあります。

 今回は、台風27号・28号がはるか南海上で日本襲撃を狙っている10月の中旬に三木市界隈を訪ねました。現在、三木市の北部から中部にかけて「美囊(みの)川」が流れており、三木市岩宮で「志染川」が南東から流れ込んできています。そして、この「美囊川」は三木市別所町正法寺で大河印南川(現在の加古川)に合流していきます。

 「美囊川」沿いで、風土記に記載されている「ミナギ」という地名を今に伝えるものとしては、三木市吉川町みなぎ台の「三木市立みなぎ台小学校」があります。この小学校は平成11年4月に開校した三木市内で一番新しい小学校です。
 しかし、この小学校も最盛期には600名近くの児童が在籍していたようですが、現在は各学年1クラス、全校児童数120余名で、将来的には近隣の小学校と統廃合されるかも、ということでした。ここにも、由緒ある地名のついた小学校がなくなるのではないかという寂しい話がありました。

 一方、「志染川」沿いには広大な志染町に「三木市立志染小学校・志染中学校、神戸電鉄粟生(あお)線の志染駅」等があり、古代からの地名を今に伝えています。
三木市内には、「山田錦日本一の生産地」というような看板があちらこちらにありました。農家の人に聞きますと、吉川町の「山田錦」は稲の穂先まで、150㎝にも成長するようです。また、10丁もの酒米を作っている農家もあるということでした。それに、酒米の看板だけでなく「日本一美しいまち三木をめざそう」という看板もありました。そこに、「山田錦の全国一」に加えて、三木市の皆さんの「美しいまち=美しいこころ=こころやさしい人」の集団、全国一をめざそう!!という強い心意気を感じました。

 さて、播磨国風土記本文ではこの「志深の里」の条の後半部に、このシリーズ8回目に取り上げましたかの有名な「志深の石室」のヲケ(23代顕宗天皇)・オケ(24代仁賢天皇)の両天皇の話が出てきます。   (美囊の郡 志深の里)

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