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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~西脇市 編 その2

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大津神社(津萬厄神)
大津神社(津萬厄神)

都麻(つま)・都太岐(つたき)

播磨国風土記には

「播磨国風土記には「播磨刀売(はりまとめ:播磨の国の神に仕える女性)と丹波刀売(たんばとめ)が、国の境を決めたとき、ハリマトメがこの村までやって来て、井戸の水を飲んで『この水味い:このみズウマい』と言いました。そこで、ツマといいます。」とあります。  

ズウマ→ツマとなったものと考えられ、現在の西脇市津万(つま)から西脇市黒田庄町津万井(つまい)辺りのことと考えられています。

続いて、播磨国風土記ではこの後に「昔、讃岐日子(さぬきひこ:香川県の神)が氷上刀売(ひかみとめ:丹波国氷上郡の神に仕える女性)に求婚しました。
そのとき、ヒカミトメが『いやです。』と答えたのに対して、サヌキヒコはなおも強引に求婚しました。そこで、ヒカミトメは『どうして、私にそんなに無理やり求婚するのですか!』と怒り、建石命(たけいわしきのみこと:神前郡の神前山に鎮まります伊和大神の御子)を雇って、武器で戦いあいました。
その結果、サヌキヒコが負けて、四国へ帰って行きました。
『私は、甚だツタナキかな(力不足であったなあ)。』そこで、都太岐(つたき)といいます。」とあります。

ここも、ツタナキ→ツタキとなったものと考えられますが、比定地についてははっきりしていないようです。
後半の部分には、古代女性のたくましさ・気強さが描かれていると言われています。
あまりにもしつこい求婚に対して、強力な男神を雇ってしり退けてしまいました。
讃容郡(さよのこおり)の条の伊和大神とその妹の玉津日女命(=佐用津比売命)との国占め争いや揖保郡の出水(いづみ)の里の条の石龍比古命(いはたつひこのみこと)と妹の石龍比売命(いはたつひめのみこと)との灌漑用水争いなど、血を分けた兄妹でも凄まじい戦いがあったようです。
そして、いつも負けるのは男性(男神)の方なのです・・・・・。

[託賀(たか)の郡 都麻(つま)の里]

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