播磨広域連携協議会

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~小野市 編

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山田公民館 時計台
山田公民館 時計台

山田の里・猪養(飼)野(いかいの)

播磨国風土記には
「山田という名がついたのは、人々が山の際に住んでいましたので、里の名としました。」
また、
「猪飼(ゐかひ)という名がついたのは、仁徳天皇の御世に日向(宮崎県)の肥人(くまひと)の朝戸君(あさべのきみ)が、天照大神を祭っていらっしゃる船の上にイノシシを持参して献上しました。
そして、クマヒトはイノシシの飼育地を探し出して、その土地を頂けるよう、お願いしました。
そこで、この場所を賜り、イノシシを放し飼いにしましたので、猪飼野といいます。」
とあります。

今の小野市山田町辺りの話であり、イノシシの飼育に関して高い技術を持っていて、伊勢神宮にイノシシの毛皮等を奉納していたとされる猪飼部(いかいべ)の話のようです。
猪養(飼)野と出てくる地名は、古来、山田町草加野(そうかの:現在の大開町を含む広い範囲)に比定されています。
小野市山田町480の山田公民館に「山田の里」と刻された時計台が建立されており、そこから山裾に広がるのどかな田園風景を望んでいますと、風土記の時代にタイムスリップした気持ちになりましたが、不覚にも山田錦が脳裏をかすめてしまいました。

[賀毛の郡 山田の里]

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