播磨広域連携協議会

播磨国風土記のなりたち

「播磨国風土記」を見つけたお殿さま

現在にまで「播磨国風土記」の内容が残り得たのは、江戸時代、それまで知られていなかった「播磨国風土記」の貴重な写本(三条西家本)を加賀藩五代藩主・前田綱紀(寛永20~享保9 1643~1724)が元禄16年(1703)に発見し、修復につとめたからです。
斜陽の皇族や公卿、社寺などの所蔵品が売り払われるなどしてゆくえがわからなくなるなか、三条西家の貴重な書物も散逸の危機にさらされていました。
依頼を受けた綱紀は、それらの整理、修復、書庫の新築まで行ない、多くの文化遺産を救ったのでした。

前田綱紀 について

江戸時代前期-中期の加賀藩の第五代藩主。
徳川秀忠と前田利家の曾孫にあたる。祖母珠姫は姫路ゆかりの千姫の妹。
父の急死にともない3歳で遺領を継ぐが、祖父利常が政務を行ない、利常が亡くなった承応3(1654)年、16歳から藩政を担う。農政改革や藩の職制・軍制などを整備し、加賀象眼・蒔絵などの産業を振興した。
早くから書物の蒐集に強い興味を持ち、書物奉行を置いて和漢の良書を購入または書写し、新井白石に「加賀は天下の書府なり」と言わしめた。また自家以外の古文書の保管にも意を注ぎ、東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ、国宝)の保存や、娘婿となる三条西公福の三条西家に伝わる「実躬卿記」(さねみきょうき、重要文化財)の発見および補修にも、資金および技術で多大な協力をしたことでも知られる。
元禄2(1689)年には五代将軍・徳川綱吉から御三家に準ずる待遇を与えられた。叔父徳川光圀や池田光政らと並んで、江戸時代前期の名君の一人として讃えられている。