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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~加西市・加東市編 その5

古の播磨を訪ねて~加西市・加東市編 その5

 雲潤(うるみ)の里

  

 播磨国風土記には、「土地は中の中です。うるみという名がついたのは、丹津日子(につひこ)の神が『法太(ほうだ)の川の下流を、山を越して、うるみの方に流したいと思う』と、そう言った時に、うるみの村にいらっしゃった太水(おほみず)の神が、断っておっしゃいました。『私は鹿・猪などの血で田を耕作します。だから、川の水はいりません』と。そのとき、丹津日子がおっしゃったことには、『この神は、水路を掘ることにウミて(いやになって)こう言っているだけです』そこで、雲弥(うみ)という名がつきました。今の人は雲潤(ウルミ)という名で呼びます。」とあります。

 

 ここに出てくる「うるみ」がなまって現在の「うに」になったと考えられています。現在、加西市には宇仁(うに)地区があり、そこには、加西市立宇仁小学校があります。この宇仁小学校の校歌の一番に「文にもしるき宇仁の地」とあり、校長先生におうかがいしますと、この「文」は播磨国風土記と児童には説明しているとのことでした。風土記の「ウルミ」は長い歴史の中で、言葉は変わっても、今も頑張っています。また、この「雲潤の里」は、現在一般的には、加西市東北部の宇仁地区から加東市滝野北西部の上滝野辺りが比定地とされています。

 

 播磨国風土記には、現在の加東市に関係する里として、今までに取り上げた「端鹿の里・穂積の里・起勢の里」と今回の「雲潤の里」の四里の記述があります。

 

 加東市のこの「雲潤の里」の広がりを確認すべく古刹「五峯山光明寺(ごぶさんこうみょうじ)」を訪ねました。播磨中央公園のすぐそばにある光明寺は、海抜約260mの五峯山の頂上にあり、「播磨高野」と呼ばれ、真言75名刹の一寺に数えられています。また、新緑と紅葉の名所で「ひょうご森林浴場50選」に選定されており、春は、桜の花見客でにぎわい、秋は紅葉の名所で、境内の静けさと木々の紅葉とが、秋の深まりを感じさせる隠れたパワースポットのようです。

 

 光明寺の本堂・文殊堂・常行堂等、塔頭の遍照院・大慈院等を拝観した後、見はらし台に登ると遥か彼方には明石海峡大橋の鉄塔をも望むことができました。そして、眼下には加古川を中心にした加東市・加西市の町並みを見ることができ、見はらし台からの大パノラマのその感動は、今も古代も変わらない豊穣の地播磨そのもののような気がしました。      (賀毛の郡)